Sweet Child O' Mine.
Romancing SaGa -Minstrel song.-
08. 闇夜の国から
「おい、どうした!」
ただごとじゃねえと思い、俺は広いベッドに乗り上がり、そのド真ん中に寝ている赤毛を揺さぶって起こそうとした。
そうするとアイシャは体をビクンと震わせて小さく悲鳴を上げ、覚醒したのか目をパチッと見開いた。
涙と汗で顔がぐっしょりとなったアイシャに俺が呆気にとられていると、赤毛は一瞬表情をこわばらせた。そうかと思うと次の瞬間、手を伸ばし、すごい勢いで俺の首元に抱きついてきたのだ。
「うぉっ!?」
咄嗟の事で、ベッドの上で四つん這いのような体勢になっていた俺が危うくその姿勢を崩しかけた。このまま崩れたらアイシャの上に落ちてしまう。そうなると小さく華奢なこいつを潰しかねないのを危惧して、咄嗟に肘をつき、既でのところでなんとか耐えた。
「よかっ……た……。ゆめ……でよかっ……た……っうぐっ……んっ……うっ……」
俺の耳元で、アイシャはまたもや泣きじゃくり始め、汗と涙と、その声と吐息による熱と水気が耳や首元にじっとりとまとわりついてくる。
「アイシャ、落ち着け……どうしたんだ?」
俺はできるだけ穏やかな声を心がけて話しかける。だがしばらく……それでも一、二分だっただろうが、アイシャは俺の首に縋り付いて泣きじゃくるのをやめなかった。細い腕でまるで俺を逃がすまいとしているかのように、ぎゅうと抱きしめてくる。
(おいおいおい……!)
心の中では正体不明の焦りが募る。体勢も体勢なので、短い時間でも数倍の時間のように感じてしまう。
「……怖い夢でも、見たか?」
俺がそう問いかけてみると、首元で赤毛がこくりと頷くのを感じた。そしてやっと手を緩めてくれたのだ。
「……ごめんなさい……あたし……」
やっと細い腕から開放され、横たわるアイシャの傍らに座るように体勢を変える。汗と涙で赤い髪の毛が顔に纏わりついていたので、何気なくその毛を顔から取っ払ってやると、薄明かりでもわかるほど紅潮した少女の顔が現れた。まだ呼吸は小刻みで、目からはまだまだ涙が零れている。なぜだか分からないが、そんな顔を見ていると心臓のあたりがちくちくと痛んだ。
「何を、そんなに泣いてたんだ」
俺は何も考えず、ただ自然とアイシャの汗と涙にまみれた頬を手で拭いながら、そんなことを尋ねていた。
「……ホークさんたちが、突然いなくなっちゃう、夢……」
「そんなことが、そんなに悲しいのか?」
俺は、言ってはなんだがそんな阿呆なと思った。所詮俺たちはたまたまあの街で出会い、道中のついでにこの娘を故郷に送って行くと約束しただけのいわば通りすがりの人間に過ぎないのに。
「そうだよね……莫迦みたいだよね……。でもあたし、みんなともうすぐお別れだと思ったら、なんだかすごく悲しくなっちゃって……。それであんな夢、見たのかもしれない……」
「そう……か」
時折声をしゃくりあげながら、どこからそんなに水分が出てくるのかと思うぐらい涙を落とし泣き続けるアイシャを見て、俺は少しだけ彼女の気持ちに寄り添うことにした。
そりゃあ確かに俺たちは通りすがりだが、この娘にとっちゃ今のところ拠り所といえるのはきっと俺たちしかいないのだろう。
まだ自分の力でできることの少ないこの娘にとって、その俺たちもいなくなることは恐怖なのかもしれないな。あと少しで到着とは言え、きっとそれとは無関係の感情が入り混じっているのだろう。
「まぁ……、俺たちもお前といた数日は結構楽しかったぞ。ありがとうよ」
「本当……?」
アイシャの口端が少しだけ綻んだ気がする。
「ああ。それに死に別れるわけじゃねえんだから、縁があればきっとまた会えるだろう。だから、そんなに悲しい顔するんじゃねえ」
俺のそんな言葉にまたうるっと来たのか、アイシャの口元が歪むがなんとか我慢したようだ。そして
「……うん」
悲しい顔するなと言われて無理をしていたようだが、そう返事をしてにこりと笑ってくれた。少し口端が震えていたが、それが妙にいじらしく見えた。
「いい子だ」
俺は赤毛の髪をそっと撫で、「じゃあ、もう寝られるか」と尋ねた。
そうすると彼女の顔が一瞬悲しげな色に染まったように思えた。しかし
「う、うん……。起こしちゃって、ごめんなさい……」と、素直な答え。
「ん」
俺は頷いて短く返事をすると自分のベッドに戻ろうとベッドから降りようとした。すると背後から俺の腕に縋りつく細い腕が現れ俺を引き止める。
「あ……?」
俺は驚き振り向くと、起き上がり俺の右腕に取り縋る赤毛がいた。
「ねぇ、ホークさんおねがい……ここで、あたしと一緒に寝て」
また涙が溜まり始めた潤んで煌めく瞳で、懇願するように訴えるアイシャ。
「そんな事出来るわけ無いだろう」
俺は困惑して、そう答えるしかなかった。
「おねがい……、一人で寝るとまた、悪夢を見そうなんだもん」
再び、彼女の声が涙色に染まる。そしてアイシャは更に切ない表情をし、ゆっくりと顔を左右に振った。そして一度は止まったはずの涙がまた溢れ出してくる。
「最近あたしね、悪夢ばかり見るの……。ウハンジのとこに攫われてから……幼い頃に死んだ両親が私を置いてバイバイってしていなくなったり……おじいちゃんや、近所の人や……そしてホークさんたち……まで……。うっ……」
そこまで言うと、涙に詰まって声もうまく出せなくなりつつあった。
「だがよ……」
そいつはさすがにマズイだろ、と言いたかったが、彼女の表情を見るとこちらも何も言えない。それほどの迫力があった。
「今日……だけでいいの……傍にいて……お願い」
紅潮した顔で懇願するような、それでいて少し気色ばんだような様相でこちらを見つめる真っ直ぐで透明な草色の瞳に、俺は一瞬色気のようなものを感じ取ってしまった。うなじのあたりにゾグゾクとした寒気が走る。初めて味わう感覚だった。
「おね……がい……ホークさん……」
赤毛はベッドに膝立ちをして俺の肩口にまでにじり寄り、俺の顔の間近までその顔を近づけ、その瞳で俺を真っ直ぐに睨みつけていた。本当に間近だった。それはお互いの吐息が絡み合うほどに――。
俺は彼女から離れたかったが、その瞳に釘付けとなり体が言うことを聞かない。なんなんだこれは、うなじ辺りの寒気も止まらない。それどころかだ。俺は無意識のうちにその吐息の先に吸い込まれそうになっていたのだ。
唇が触れ合いそうになる寸前、アイシャは先ほどのように首に抱きついてきた。そしてこう言い放ったのだ。
「ここにいる間だけでもあたしの『お父さん』でいて……」
裸の肩にポタポタと水滴が溢れて滴るのが伝わる。それで、俺の中でスーッと何かが引いていくのを感じた。
そうか。この娘は俺に父親代わりを求めているのか。こんなにも悲壮に、切実に。何故か俺は急に彼女がとても可哀想になってきた。
せめて別れるまでの僅かな間だけども、できることを彼女にはやってあげたい。そう素直に思った。
「……わかったわかった。お前にゃ負けたよ」
俺は彼女の背中をポンポンと諭すように叩く。
「今日だけだぞ。尤も、多分もうチャンスはないだろうがな」
俺は口端を上げると、ベッドに体を横たえた。アイシャは満面の笑みを浮かべると俺の隣にちょこんと寝転がると俺の腕に顔をくっ付けて満足そうな顔をしている。
「ありがとうっ……!」
その表情は完全にいつものアイシャのそれだった。まだ涙は枯れていないが、泣いてたカラスがもう笑う、だ。
理解できん。だが、満足そうな顔を見ると、まあいいかという気持ちにさせられた。
「ホークさん……」
腕に顔をくっつけたまま、アイシャがぼそりと俺の名を呼んだ。
「何だ」
俺は目を閉じたまま返事をする。
「あたし、……いつもわがままばっかり言って、ごめんね」
俺の腕に顔をうずめたまま、赤毛らしく無くふと殊勝なことをこぼす。
「これで、最後だからな」
「じゃあ、……わがままついでにもう一つお願いしてもいい?」
そうきたもんだ。
「まぁだ何かあんのかっ……」
俺は今度は一体何だと訝しんでいると、赤毛は少しだけもじもじとしていたが
「あのね…………ぎゅってしてほしいの……」
と、恥ずかしそうな声で発した。それはつまり、抱きしめろということか。益々おかしなことになってきた。
「……それは、『お父さん』としてだな?」
牽制の意味を込め、一応聞いた。
「……うんっ」
少しだけ照れたような音色で発し、赤毛は嬉しそうにこくりと頷く。
「……やれやれ、しょーがねえ娘だ。いい加減に親離れしたらどうだ」
もう俺はやけくそだと思い、アイシャの細い体を少し強引に引き寄せ、抱きしめてやった。その時一瞬だけ俺の力に驚いたのか「あわっ」という声が漏れでたようだが、俺の胸に抱かると赤毛はは安心したように目を伏せ
「ありが……とう」
とかすれるような声が胸元から発せられる。
「いい子はもう寝ろ」
「はー……い」
俺はもうこれで寝てくれるならいいかと思った。すると程なくして胸元に寝息が響く。散々泣いてたから疲れたのか。なんてやつだよ全く、と呆れたが、寝てくれたことに一応安堵はした。しかし、はたと俺は先程のことを思い出す。
あの時俺は、一体何しようとした?
この……まだ十五やそこらの娘に。
それを考えると冷や汗に似た感覚が全身を駆け巡り、さきほどのうなじの悪寒も一瞬よみがえる。
いや……一瞬の気の迷いだろう。そう考えることにした。
現に今は、おかしな感情など全く湧いてこない。こうやって胸元に少女を抱いていてもそれ以上何かしようなどという気は全くと言っていいほど起きないのだ。
なんだったんだ、畜生。
全く女ってのは怖いぜ。
翌朝。
俺の体内時計は例のごとく七時に作動し、意識を浮上させる。
目を開ける前に腕の中に感じる、ここ最近はあまり感じることのなかった柔らかで温かな感触。それは女の-アイシャの細い体の感触である。
赤毛はまだ夢の中にいるようで、俺の右腕を枕にし、その枕の上にもはや恒例となった感のあるアレを垂らしていた。涎である。しかも今回は結構量も多いように思えた。眠ったのが長時間だったせいだろうか。
「おいおいおい……勘弁してくれよ」
苦笑いしつつ少しだけ上体を起こすと、朝日の中で見るアイシャの顔は幾分スッキリして見えた。
「おい起きろ、朝だぞ」
俺は赤毛の肩に手をやり、やや遠慮がちに揺り起こす。すると赤毛は「う……ん……」と小さく唸り、覚醒の兆しを見せた。やがて何度か目をぎゅっとつぶったり弛緩したりを繰り返しながらなんとか目をこじ開けると、目の前にある俺の顔を見て一瞬ハッとした表情を浮かべたが、次の瞬間にはニッコリと笑っていた。
「……おはよ、ホークさんっ」
寝起きで少し掠れてはいるが、昨日の涙声が嘘のようないつもの軽快な声。
「やっと起きたか。支度するなら、俺は部屋を出るぜ」
俺はどうせ顔でも洗ってコートを羽織るだけだからな。
「それにしてもよ、お前はなんでこんなに口が緩いんだ。毎度毎度……」
まだ新鮮に滴る口元のよだれを何気なく指で掬ってやると、それは透明の糸を引きながら、指にべったりと絡みついた。
「ぎゃぁっまままままたなの?なんで?!」
叫びながら赤毛は飛び起きた。顔色は焦りの色に染まる。手で口元を覆い恥ずかしそうに顔を伏せてしまった。
「いっ、何時もはこんなこと無いんだよっ?本当だよ?!」
顔を伏せながら上目遣いで俺を見てそんな弁解をしていたが、俺の隣で寝る時は大抵よだれを溢しているのは事実なのだから、そんなことを言われてもな。
だいたい恥ずかしがるポイントがだいぶずれてんだよ。お前は。
俺は起き上がるとバスルームで顔と、肩口から腕に掛けて赤毛の垂らした涎を洗うといつものコートを羽織る。
「支度できたら降りてこい。食堂にいる」と言い残し俺はさっさと部屋を出た。
勤勉な相棒は部屋にその姿がなく、きっと食堂にいるはずだと思ったからだった。
そして結構な広さの食堂をうろつくと案の定ゲラの姿があり、クリスタルシティ・ニュースペーパーを広げつつ食事を摂っていた。その姿かたちがトカゲでなければ、まるで勤勉な勤め人の朝の姿のようだ。
「おいゲラ」
「おはようございます、キャプテン」
いつもと何ら変わらぬ相棒の態度。
「……お前ゆうべ、狸寝入りぶっこいてやがったな」
「何の事でしょう。私は何も知りませんし聞いてません」
……お前実はトカゲじゃなくタヌキなんじゃないのか。アイシャがあれだけの大声で泣いていたのに、俺より眠りの浅いこいつが気づかないわけがないのである。俺は小さくチッと舌打ちした。こいつが一緒に起きていれば、恐らくあんなおかしなことにならずに済んだというのに。長年の相棒であり参謀である彼を、初めて少しだけ恨む気持ちが沸いた。
「はっ。……まあいいけどよ」
こんなイライラや葛藤とももうすぐお別れだ。―しかしそうするとまた当て所もない旅の生活に戻るわけで、アイシャを村へと送り帰した後にはどうするか考えなくてはならない。
「……なぁゲラ。あのガキを帰した後のことなんだが」
俺も朝食を頼み、それを食いながらその後の一応の算段を少しはしておこうと思った。あいつがここへ来る前に。
「そのことなんですが、新聞にちょっとおもしろい記事が載っていますよ」
「何だ?」
相棒から新聞を受け取る。「ここです」と示された場所には、『火山の島でお馴染み、リガウ島で一攫千金のチャンス到来。旅人急増。君もチャレンジしてみないか!』という見出しが踊っていた。どうやら近頃あの島の草原に沢山ある巣穴の中に財宝が眠っているというので、挑戦する者が増えているとのこと。リガウ島も観光宣伝目的でこれを積極的にアピールしているようだった。
「ほおー。面白そうじゃねえか。しかしリガウ島はどこから行けたんだっけ」
「唯一メルビルから船が出ているようですね」
相棒は事も無げに答えた。だが、メルビルだと?よりにもよって。
「……あそこはダメだろ」
俺はあの国では海軍のお尋ね者リスト筆頭の賞金首だぞ。自分が一攫千金の獲物にされたらどうするんだ。そんなことが分からない相棒ではないはずだ。
「しかし帝国海軍が狙っているのはあくまでサンゴ海の海賊船・レイディラック号の船長ですから、船を降りた今なら面も割れてないですし長居さえしなければ大丈夫なように思いますが」
「うーむ……」
一攫千金は魅力だからなあ、と考えていると、
「ゲラちゃんっ!おはよう!もうあたしお腹ペコペコー!!」
軽快な声が弾む。支度を終えた赤毛がニコニコして俺たちのテーブルに座ってきたのだ。
「おはようございます。ご気分のほうは大丈夫ですか」
ゲラは何気なくアイシャの体調を気遣うような発言をした。
「うん大丈夫だよっ。何時もよりむしろなんだか元気!」
その問に何の疑問も持たず、満面の笑み浮かべて素直に赤毛は答えていた。
「そうですか、それなら良かったです」
安堵したような相棒の声色。
――やっぱりお前、昨晩のやりとり全部聞いてただろ。こいつが今までアイシャにそんなことを尋ねたことは一度もなかった。
この相棒に対する俺の中の恨みの炎が、思わず再燃しそうになった。
Last updated 2015/5/23