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Sweet Child O' Mine.
Romancing SaGa -Minstrel song.-

13. BORDERLINE.

 ゲラの奴が部屋をノックしたのは、それからしばらく経ってのことだった。

「お食事どうしましょうか」

 ということだったが、赤毛はこんなだから食えねえかもなあ、などとと話していると

「あの……」

 と突然か細い声が上がった。アイシャが目を覚ましていたのだ。

「お前、いつの間に起きてたんだ」

 俺が呆れるようにこう告げると

「……ちょっと前だよ。意識だけ戻ったけど、目を開けるのしんどくて……」

 と弁解めいた声を上げた。俺は飯は食えそうかと尋ねると、少しもじもじとしながら、

「……実はさっきからずっとお腹へってたの……」

 と、控えめながらそう言う。それと同時にキュルルルル……という音。その瞬間赤毛は顔を真っ赤にし顔をタオルケットで隠し始めたのだ。そう、それは赤毛の腹の虫だった

「……ま、腹が減るってのはいいことだぜ」

 俺は思わず笑ってしまいながらそう言うと

「もうっ、もうっ。無視してよぉ!やだぁ!」

 とタオルケットの中からくぐもった声が聞こえてきた。

 

 とはいえ歩くのはまだまだ辛そうだったので、ゲラに頼んで食事を運んできてもらうよう言ってもらい、部屋で摂らせたりしていたのだが

「あの、ホークさん」

 ふと赤毛が話しかけてきた。何だと俺が返事をすると、満面の笑みで「ありがとう」と言ってくるのだ。

「ん」

 俺はその返事代わりに、赤毛のてっぺんを軽く撫でてやる。それが嬉しいのか、アイシャはまだ赤い顔を緩ませて、にこにことした顔を俺に向けてくれたのだった。

 

 食事をなんとか終わると、赤毛はまたベッドに張り付いてしまった。少し回復したように見えたがやはりまだ体の方は重いらしい。少し寝る、というので、じゃあ俺も部屋に戻ろうかと言うと、赤毛はこちらを向いて目で訴えるのだ。―もう少しここにいて、と。

 そんなこと、わかりたくてわかったわけじゃないが、わかってしまったものは仕方が無い。

「わかったよ、もう少しだけな」

 と言って椅子に座ると、赤毛はゆったり表情を緩ませた。心から安心をした顔だ。今日は病気だから仕方がないと俺はどこか、最初からこう言われることも予想もしていたし諦めてしまっていたのだろう。

 従業員を呼んで皿などを下げてもらうと、部屋を小さなランプだけにして、椅子に座りじっと赤毛の方を見つめていた。アイシャはそんな俺がいることに安心したのか、ゆっくりと目を閉じていく。

 いつの間にやら相棒は早々に部屋へと引き上げていた。今日は個室しか開いていないというので一人ずつ個別に部屋を取っていて、依然俺の部屋だけが無人というわけだ。彼女が寝たら部屋を出ようと思っていたのだが、いつしか彼女がくうくうという静かな寝息を立てはじめていても俺はその場から動けなかった。何故が分からないが、今日は自分がここから離れたくない気持ちが強くなっていた。

 しかし夜も更けつつある。どうやら体調も安定しているようだしと、漸く俺は腰を上げ、赤毛の額のタオルを替えて頭をそっと撫でてやると、部屋から出ようとそっとドアへと歩み寄っていった。すると

「だめ……」

 背後から掠れた声が聞こえてくる。正直俺は内心ぎくりとしてしまった。

「……今日のお前は起きているのか寝ているのかちいとも分からねえな」

 なにがだめなんだ、と尋ねると

「行かないで……ずっとここにいて……」

 なんて言いやがる。俺もそろそろ眠いんだがな。と言うと、こいつはさもいつもの当たり前のことのようにここで一緒に寝れば良いじゃない、などと言うのだ。

「あのなぁ……」

 俺は思わず顔に手をやり、ため息を吐いた。一体今日だけで何度目だろうか、ため息をつくのは。

「あんまり当たり前みてえに言われても、癪に障るんだよなあ」

 俺はつかつかとドアの方に歩いて行く。アイシャは「あ……」と残念そうな声を上げたが、俺がガチャリとドアに施錠するのを見て、少しだけポカンとした顔をしていた。

 俺はコートとブーツをさっさと脱ぐと

「ほれ、もうちょい向こう行け」

 とアイシャをベッドの中心からどかせる。そして開いたスペースにゴロンと横になった。リゾートとしてそこそこ有名な宿のせいか、少しだけベッドが大きめだったのが幸いし、二人で寝られる程度のスペースが保たれていた。だがやはり、くっついていないと狭くて寝れたもんじゃないだろう。アイシャはそれを嬉しそうな顔をして俺にくっついてきた。そして

「あのね……。ぎゅってして……」

 と聞こえるか聞こえないかという小さな声でそうせがんできた。

「あの日だけで良かったんじゃなかったのか?」

 クリスタルシティの夜、そう言ったのはアイシャだ。今日だけでいいからと。

「……だめなの?」

 赤毛が口を少しだけ尖らせたかと思うと俺の腕に顔を埋(うず)めた。その仕草がとてもいじらしく感じ、それと同時に愛おしさがこみ上げる。それは決して男女のそれとは違い、明らかに慈しむような気持ちからだ。だから、俺は少しだけきつく抱きしめてやった。少し驚いたのか赤毛は胸元でんぁっ……と小さな声で喘ぐ。こうするとわかるが、体がまだ十分熱かった。なのでまだ熱いなお前はと言い、すぐに離してやた。

「もっと」

 とアイシャは甘えてくるが、熱がぶり返すだろ、と言うと「いいもん」と来たもんだ。

良かあねえだろ。

「親父の言うことは聞けって言ったろ」

「じゃあ腕枕だけでも~」というので、しぶしぶ腕は貸してやることにした。

「やった!えへへ……」

 アイシャが俺の腕に収まり、胸元に顔をくっつけて嬉しそうに微笑っている。全く、相変わらず無遠慮なガキだぜとほんの少し苦笑する。

 そして、部屋に沈黙が降り注いだ。

 

 眠かったはずだが、どうも寝付けない。

 目を閉じても、胸元に熱っぽい身体を寄せる赤毛が気がかりで眠れねえ。眠ったところでどうにかなるわけでもねえのによ。

 すると赤毛が唐突に、言葉を発した。

「ねぇ、ホークさん……さっきからずっとね、ザザーン、って音がするの……これ、波の音だよね」

「ん……そうだな」

 確かにこの深夜の静かな時間帯にもなると、宿の中や戸外に人の気配も殆ど無く、ただ波のさざめきの音だけが静かに響いている。

「……あたし、この音好きよ……。なんだかすごく、落ち着くな……」

「ああ。俺も好きだぜ……」

 俺などは生まれた時からこの音に抱かれて育ってきたが、赤毛の言うことはよく分かった。荒々しく猛る波飛沫には勇気をもらい、このようなさざ波の音には癒されてきたからだ。

 最近じゃ海を離れて生活していたから、特別心地よく、そして穏やかな気持ちを感じている自分に気付く。

 その穏やかさはもしかすると、この腕の中の存在のせいかもしれねえとも、ふと思ったりもした。

 

 程なくして赤毛は寝息を立てはじめたのが聞こえた。また寝てるようでいて、意識はあるのかもしれないが。

 

 ―なぜだか俺は、さっき赤毛の身体を拭いてやった時、自分の中で何かが吹っ切れてしまったような気がする。

 こうなりゃ、こいつの気が済むまで親子ごっこに付き合ってやろうと少しばかり肚を括ってしまった日だった。

 俺の中に、新たな線が追加されたのである。

 

 

 やがて朝になり、いつもどおりの時刻、俺はパチリと片方だけの目を開ける。

 そしてもうすっかりおなじみとなった、恒例となった涎の感触に気づくのだ。―しかしよく考えたらこいつ、昨日一人で寝ていた時は本当に全く涎を垂らしていなかったな。どうなってんだ?

 口元に流れる涎を指ですくってやり、額のタオルを取るのとついでに指を拭く。

 ほっぺたや首筋に手を当ててみると、すっかり熱は引いている様子だった。

 この分だと今日は大丈夫だろうか?俺は赤毛を起こさないよう腕をそっと外してベッドから抜け出た。すると

「ホークさん……おはよう」

 後ろから掠れた赤毛の声がした。

「ああ、起こしちまったかな」

「寝すぎたせいかなあ……何だか、眠りが浅いみたいなの」

 それでちょっとした物音や気配でもすぐに意識が起きてしまうのだと。俺はそうか、と言うと絞ったタオルでアイシャの口もとを拭いてやった。

「うあ……またなのぉ……。もうやだぁ」

 アイシャはタオルケットを顔を隠し、自己嫌悪じみた声を上げる。俺はそのタオルで自分の体を拭きながらもう慣れちまったと苦笑してやった。

「体調はどうだ。今日は船に乗れそうか?」と問うと

「今日は大丈夫そう。頭もスッキリしてるし体も軽いよ!船に乗るだけだしね」

 赤毛はまだ若干掠れているものの元気な声でそう言うとベッドから降りてみて、自分の足取りを確かめた。

「そうか、なら良かった。今日の便は十時半らしいから、それまでゆっくりしてていいぞ」

「うん!でもあたしお腹すいちゃった」

 その一言により、朝食を摂ることが決定した。

 宿の食堂に一緒に降りて行くと、早起きの相棒がワロン・タイムズを読みながら食事をしているのが見えた。

「おはようございます、キャプテン、アイシャさん。体調はもうよろしいのですか」

「うん!心配かけちゃってごめんね……ありがとうね」

「いえいえ、お元気になられて何よりです」

 相棒は幾分ホッとした顔をしたような気がする。

 今日はメルビル行きだと俺が告げると、相棒は分かりました、と言いつつワロン・タイムズへと目を戻した。

「なんだかメルビルは今おかしな事件が続いていて物騒ですねえ。謎の変死事件が相次いで起こっているとか」

「へぇ」

 相棒から新聞を受け取り記事を読んでみる。どうやらメルビルの住民が病気でもなく、また誰かと争った形跡もないのに、朝になると突然死んでしまうという事件が何件も続いているらしいのだ。

「ちょっとこわいね……」

 アイシャは不安げな声を上げたが

「メルビルにゃあ長居はしねえし大丈夫だろ。事件の被害者は住民限定みたいだしな」

「そうですね。私もそれには同意します」

 といった俺たち二人の意見を聞き、赤毛は幾分ホッとした顔をしていた。

 

 飯も食い終わり俺たちが部屋へと戻ろうとすると、赤毛の部屋の前に従業員が立っていた。

「あ、丁度よかった。昨日お頼みのお洗濯お持ちしてます」

「おうご苦労さん」

 それを赤毛に渡すと彼女の部屋の鍵を開けてやる。

「俺は一旦部屋に戻るから着替えとけ」

 と告げ、荷物を取りに元々自分に充てがわれていた部屋へと戻った。結局ただの荷物置き場になっちまったなと苦笑してしまう。

 

 アイシャはといえば、着替えろと言われそうしようと思ったのだが、なんとなくベッドにごろりと横になってみた。まだ八時過ぎで、船までの時間があるなあなどと思ったからだ。

 ベッドに横になると、ふと思い出すのは昨日のこと。

「完全に……見られたよね……」

 服を脱ぐ力がなくもたもたしていた自分が悪いのだけど、まさか無理やり服を剥ぎ取られるとは思いもよらなかった。それでもだからといって恨むような気持ちは毛頭なく、多少の恥ずかしさはあるとしても、こみ上げてくるのはその優しさに対する感謝ばかりだった。そして少しだけ、いつも余計な世話をかけてしまう自分の不甲斐なさに対する悔しさも。

「本当に、お父さんみたい……」

 アイシャの幼い頃に死んだ、微かに記憶に残る強かった父親の大きな手。それが少しだけホークのそれと重なる。とは言え、当然のことながらホークは父親でも何でもない赤の他人だ。なのにどうしてこんなに優しいの、と却って不安になるほどだった。

 更によくよく考えてみたら赤の他人の男性に添い寝してもらうなんて普通じゃないよねと今更ながら思うのだが、きっと彼はあたしのことなど本当にただの子どもだとしか思っていないのだろう。あたしがあまりにも拙くて幼いから、正に父親のような気持ちで何かと世話を焼いてくれている心の広い人なんだろう。

 でも、それはそれで少し悔しい気持ちが湧いてくる。一緒に寝ても、裸を多少見たとしても、彼にとっては何も感じないほど自分は子供だということだから。

「あたしがもっと、大人だったら……」

 彼はどうするのだろうか。もしかしたら。もっと大人がするようなことを求めてきてくれるだろうか。

 そこまで考えると、顔から火が出そうになった。

 やだやだやだーーーっと枕に顔をうずめて声がもれないように叫んだ。

 あたしなに考えてるんだろう。

 あの人は、いつもあたしを助けてくれて、叱ってくれて、優しくしてくれて、不安で泣きそうな夜はぎゅっとしてくれる、今やとても大きな存在。だからこそ、彼に甘えなくてもいいようにもっと強くなりたかった。対等でいたいということはそういうこと。

 それ以上のことなど、望むべくもないのに。

 

 アイシャはベッドから起き上がると「よしっ」と気合を入れる。そしていつもの服に着替えようと、宿の部屋着を豪快に脱ぎ捨てた。

「これ、お洗濯してくれたんだ」

 そういえば、旅に出てから一度も洗ってなかったなと初めて思い出す。鮮やかな色が戻り、仄かにいい匂いのする自分の服がなんだか新鮮に映った。そしてなぜかその時、ふとアイシャは突然あることを思い出した。

「ああああっ!!!」

 唐突に悲鳴のような大声を出した赤毛の声は、丁度ドアの前に通りがかったホークに聞こえてしまったようで、

「おいどうした!?」

 と咄嗟にドアを開けられてしまった。

 まだ着替えていないのに。

「……?!」

 お互い一瞬固まったが、ホークの目に飛び込んできたのはほとんど裸のアイシャ。そして次の瞬間、

「いやーーー!ちょっとぉーーー!!!」

 と、アイシャが悲鳴を上げたので、反射的にホークはドアを閉めた。

「バッカ野郎、着替えるのに鍵閉めねえ奴があるかあっ!」

 とドアの外から聞こえてきたが、アイシャは少しパニックとなって

「もー!もーー!もーーー!!!あっち行って!!!もーーー!!!」

 という金切り声しか出せなかった。

 

 ドアの向こうからガチャン!という音が聞こえる。きっと鍵を閉めたんだろうが、遅えんだよ莫迦がと言いたいのをなんとか飲み込んだ。

 時刻は九時過ぎ。相棒と少し早いがそろそろ船着場にでも行こうと話をしていた所、アイシャが部屋から出てきた。俺と目が合うと恥ずかしそうに顔をそらす。俺は何事もなかったように振る舞うぐらいしかできないので、赤毛の傍に徐ろに近寄ると

「お前なんでさっき大声出してたんだよ」

 と尋ねた。

「えっ、あ、えっと……。なんだっけ。あ、思い出した」

 まだ少し恥ずかしそうな顔をしていたが、話をしてくれた。

「……結局、ジャングルの星空、見られなかったなあって」

 それはウソのオアシスでゲラに聞かされた、ワロン島のジャングルでは星が綺麗だという話のことを言っているようだった。

「そんなことかよ……」

 そんなことであんな悲鳴あげるのかよと俺は呆れたが

「結構楽しみにしてたんだけどなあ……」

 と心底がっかりした顔をしていたので、また何時か来ることもあるだろうからその時まで取っておけばいい、と言っておいた。

 そしてチェックアウトを済ませて宿から出ると、あのじじいが向こうから歩いてくるのが見えた。

「お、お嬢ちゃん。今朝は元気になったかね。気になったので往診に来てやったんじゃが」

 と赤毛に尋ねる。赤毛はぽかんとした顔をしていたが、

「ああ、昨日来てくれたお医者さんかなあ?」

 と俺に聞いた。そうか、昨日は意識が朦朧としていて、姿は見ていないんだな。

「そうじゃ。具合はどうだ?」

 と問いかけられ

「はいっ。もうすっかり元気です!ありがとうございました!」

 と赤毛は礼儀正しくお辞儀をした。

「それなら良かった。あんたのような年頃の娘は丁度体が大人になるところじゃから、心身ともに不安定なもんじゃ。自分でも自覚がないまま体調が悪化していたりするもんで、少しでも異変を感じたら無理せんことじゃぞ」

「はーい!」

 アイシャはニコニコして返事をする。

「ところでお嬢ちゃんよ。このホークとは、一体どんな知り合いかね?」

 じじいはまたどうでもいいことを赤毛から聞き出そうとしていた。

「ああ、えっと、ホークさんは……」

 赤毛はどう答えようかと考えていたようだが

「あたしの、……お父さんです!」

 などと言い出したのだ。俺は驚いたがじじいも少し驚いたようで「あんたいくつじゃ歳は?」などと聞いてくる。

 十五です、とアイシャが事も無げに答えると、じじいは俺の顔と赤毛の顔をジロジロ見ながら

「じゃあお前さんが二十歳やそこらの隠し子か。まぁあの頃のお前さんを考えたら隠し子の一人や二人や三人や四人は居てもおかしくは無いのう」

 などと云いながらヒッヒッと笑う。隠し子たぁ人聞きの悪いやつだ、と文句を言おうとしたがそんな俺を遮るようにして「ホークさんって、モテるの?」とアイシャがじじいに尋ねていた。

「まあ若い頃はまだ面も良かったしパイレーツコーストの中でも勢いもあったからの、そりゃあもう毎晩女をとっかえひっかえ……むぐぅ」

 俺は思わずじじいの口を鷲掴みにして、そのいらねえ口上を黙らせた。

「それ以上喋ると、このまま息の根止めるぞじじい……!」

「ブホッ、ブホッ、乱暴なやつじゃ……まあ若い娘さんの前でちと下品じゃったがの、事実じゃからしょうがないじゃろ。あの頃のお前さんはなかなかひどかったぞぉー?」

「黙れっつってんだろじじい!」

 俺はイライラしてもう一度掴みかかろうとすると

「まぁ、確かにキャプテンは女性に関しては正直五~六年位前まではひどかったですからねえ……」

 と相棒までもが同意をし始めたのだ。

「五~六年前か……おお、丁度その頃じゃな、こいつが右目をやられたのは」

「おじいさん、ホークさんのこと昔から知ってるんだ」

 アイシャは意外にも興味津々な様子だったが、俺は正直もうやめて欲しかった。

「そうじゃ。こいつがまだまだお嬢ちゃんぐらいの頃から知っておるぞ」

「ほんと!?お話聞きたいーー!」

 とアイシャは本格的に目を輝かせ始めてしまったので

「話はおしまいだ。もう行かねぇと船が出ちまうぞ」

 そう相棒と赤毛を急かした。

「あ、そうか。ねえおじいさん、もしまた来た時にはお話聞かせてね!」

 赤毛はよほど俺の話を聞きたいと思ったのか、じじいに念を押している。

「ああ。その時にまだこの島にいたらな。ゆっくりできる時に来なさい」

 と笑うじじい。その顔が俺にはまるで悪魔のように映り、もう当分この島には来たくねえ、と心から思ったのだった。

 

「おいゲラ。もしアイシャになんか聞かれても余計なこと喋るんじゃねえぞ」

 無事船に乗り込んだあと、俺は小声で相棒にそう釘を刺した。相棒はやや済まなさそうに

「はい……先程はつい。すみません。色々と思い出してしまって」

 と謝っていたが

「全く誰がひでえんだよ。誰が……。俺は商売女たちに稼がせてやってただけだぜ」

 俺がそんなブツブツと独り事のように文句を言っていると

「よく言いますよ。確かに堅気の人には手を出してはいませんでしたが、そんな商売女と呼ばれるような人達を本気にさせて争いを起こしていたのは誰です?挙句の果てに、その右目を……」

「ああうるせえ。そのことは死ぬまで忘れてえんだ。言うんじゃねえ!」

 俺はたまらず相棒の話を遮った。忘れたい過去をぶり返されて、ハラワタが煮えくり返りそうになっていたからだ。それ以上喋られると相手がゲラでも何をするか分からねえ。そのくらい忌々しい過去だった。

 

 

「まったくよぉ、な~にが娘じゃ。ありゃあどう見てもタラール族の娘じゃあねえか。お前さんの種から生まれるわけがねえだろうが」

 島の老医師は、三人の後ろ姿を見送りながら独り事を洩らした。

「女の話をされてあんなに焦るとは思わなんだが……面白いのう。本当にあ奴は変わってしもうた。あのお嬢ちゃんに変えてもらったんかの。ありゃあ二度とサンゴ海には戻って来んかもしれんなあ」

 老人は海を見つめながら、懐に常に仕舞ってあるスキットルを取り出すとその中の液体をグビリと煽る。

「まぁ、戻ってこんならそれでもいいわい。生き延びろよ……ホーク」

 老医師は少し寂しげな顔をしながらも、かつて海で暴れ回っていた青年の未来を案じずにいられなかった。

 

 

 程なくして、メルビル行きへの船が無事に出港した。

 

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Last updated 2015/6/16

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