Sweet Child O' Mine.
Romancing SaGa -Minstrel song.-
10. それが恋だと気づかずに。
夜もだいぶ更けてきて、いざ眠ろうとその場に横になると、視界の先にアイシャの安らかな寝顔が飛び込んできた。
あの様子からすると、きっと今夜は悪夢は見ていないなと俺は胸を撫で下ろす。
しかし一体俺は、何故この娘に対してこんな気持ちになるのか分からなかった。
しばらく海に戻れないから、その間の気まぐれだとしても。最悪の場合永遠に解決できないかもしれないことを、何故根拠もない確信を持って約束しちまったんだろうか。そしてそれには長年の相棒に迷惑をかけるかも知れず、そのためにその相棒と決別してもいいと思ったことも。自分自身がわからない。こんなことは初めてだった。
それでも強く思うのだ。この娘だけは放っては置けないと。
浮かんでは消える保護欲とか、同情とか、もしくは一種の愛着だとか。猫の目のようにくるくると表情が変わるアイシャに引きずられるように色んな感情が綯い交ぜになってしまう。
まぁ旅をしていれば何時かは答えが見つかるかもしれない。どうせ元来風来坊のような身の上なのだから今更答えを急ぐ必要もないだろう……。
この時は心の中でこのように一応の決着を着けて、眠りに落ちたのだった。
明くる朝が来て、俺と相棒は先に目が覚めた。
アイシャがまだ寝息を立てていたので、俺は「おい朝だぞ」と言って起こしてやると、彼女はしばらく覚醒に時間がかっていたが漸く目をぱちくりと開く。すると突然赤毛は寝床から跳ね起きたかと思うと、テントを飛び出していった。
「何だ何だ?」
俺とゲラはその行動に驚き、思わず後を追いかける。
外に出たアイシャは立ち止まると少しだけ息を弾ませながら、ぐるりと村の様子を眺め、しばらくすると「はあ……」とため息を吐いた。そして
「……やっぱり、現実なんだね……」
とつぶやいてがっくりと肩を落とし、項垂れてしまったのだった。
もしかしてあれは全部夢で、目が覚めたらすっかり元通りになっているのではないかと目覚めた時そう願ったのだろう。
だが現実は非情なものだった。
俺は掛ける言葉が見つからずに、ただ無言で赤毛の肩にそっと手を置いた。すると彼女はゆっくり振り向くとにこりと笑って
「ごめんなさい。でもあたしは大丈夫だよ」
と幾分明るい声をあげた。そしてこう続けたのである。
「だってホークさんたちがいるもの!」
その言葉は、俺の心に思いもよらないほどずしりと響いていった。俺は「あ……ああ、そうだな」とだけ返事をして赤毛の頭を撫でてやると、彼女は嬉しそうな顔をして再びにこりと笑ってくれた。
俺たちはアイシャの家に戻り、昨晩の飯の残りを食べ終えると、ゲラは今後の行き先についての話を始めた。
「先日キャプテンと話しをしていたのですが、リガウ島に行くという計画がありまして」
そこはメルビルを通過しなければならないから、判断を保留にしていたのだが、相棒が言うには
「メルビルにも寄る意義はあります。あそこには、世界最大の蔵書数を誇る帝国図書館がありますから、アイシャさんの村の皆さんの行方のヒントももしかすれば拾えるかも知れませんよ」
というものだった。
「……ほう、なるほどなぁ」
相棒にそう打診されては否定する意味もない。
「まぁ、悪さしなければ俺だって気づかれはしないか」
俺はもはや覚悟を決めた。というよりむしろ楽観的な気持ちになっていた。よもやあのサンゴ海で恐れられたキャプテン・ホークが陸の上で、しかもこんな女の子を連れて帝国の本陣を歩いてるなんて誰も思うまい。
「それでメルビルへと向かうルートなんですが、またヨービルに戻りますか、それとも」
「まあ、比較的楽なのはワロン島からだろうな」
地図を広げて、北へと指を滑らせた。
「ワロン島って、ゲラちゃんみたいなゲッコ族とかが住んでいるところだよね?」
アイシャも身を乗り出して地図を眺めている。
「そうです。ちなみにこの辺りの海はサンゴ海と言って、ここがキャプテンと私が根城にしていたパイレーツ・コーストです」
ゲラがワロン島の西の海域をぐるりと指差す。
「結構、ここからも近いんだね。カラム山脈の向こうなんだ」
アイシャは興味津々に地図を眺めていた。
地図で見りゃあ確かに近くに見えるかもしれないが、実際はそうでもない。空でも飛べるなら別だろうが。
「南から行くとブルエーレからがちょっと厄介ですし、これからヨービルに戻るのも長いですからやはり北から行くとしましょうか」
「そうだな。ガレサステップを抜けるまでが少し大変なだけだ」
「馬があれば直ぐなのになあー」
アイシャはいつもこのステップを駆け巡っていたから、馬だと早駆けなら一日かからないことを心得ていた。一度ガレサステップを戻りニューロード沿いで行くというルートも考えたが、距離が同じならいっそ突っ切ってしまおうということに落ち着いた。
「無いものを言ってても仕方ねえだろ。とりあえず準備だ」
「はーい!」
村にある、持って行っても差支えのなさそうなものはとりあえず拝借しておくことにし、一応の準備を済ませると、いよいよ俺たちは村を出ることにした。
アイシャは少し名残惜しそうに生まれ育ったその村の全体を見回して、
「必ず戻ってくるからね。みんなと一緒に」
と独り事のようにつぶやくと、踵を返した。
「じゃあ、行こっ!」
と、元気を誇示するような声で俺たちに声を掛け、真っ先に村を出たのだった。
そうして俺たちの新たな旅路が始まったのである。
やがて俺たちは広大なガレサステップをなんとか魔物を蹴散らしながらも抜けて、ウソのオアシスへと到着した。この村はカクラム砂漠という過酷な場所の隣にあり、水が湧き出るオアシスの宿場として有名だったところが、訪れる人が多くなりそのまま村の体になっただけの簡単な集落だった。
なので住居や店もほとんどがテントであった。それでも漸く寝床と飯にありつけるので、旅人からしたら正にオアシスの村なのである。
「久しぶりだなァ。前はしばらくここで呑んだくれてたっけな」
俺は船を失った当初、ノースポイントからこの村に来ていやに居心地がいいので結構長く滞在してたことを思い出した。
「そういえば以前、この村に来ようとしてあたし、人さらいに連れてかれたんだっけ」
アイシャはボソリとそんなことを零した。
「そりゃあマジか。もしかして人さらいに捕まってなかったらここで俺と会ってたかもしれんな」
「だけどそしたら、こうやって一緒に旅してなかったかも知れないよ?」
「うーん、そうか。お前も村の連中に置いてけぼり喰らわなかったかもな」
人生は正にタイミングだな、そう思わずには居られなかった。
奴隷商人の奴らがこいつを攫わなければこいつとも出会わなかったかも知れないわけで、そうすると俺は今どうしているんだろうなあ、などと少し思ってみたが、そんなことを考えても仕方のない話なので、俺はすぐに考えるのをやめた。
とりあえず今日はここで一泊だ。明日はノースポイントから、船がまだ出ていればそのまま船に乗ることに決める。
「とりあえずあれだ、俺に命の水をくれ」
俺がそんなことを言い出すとゲラは俺を大抵たしなめる。
「何が命の水ですか、素直にお酒と言えばよろしいのに」
「オアシスぽくていいじゃねえか。そっちのほうが」
俺が嘯いているとアイシャも乗り出してきて
「あはは、じゃああたしも命の水ー!」と乗ってきたのだ。
「アイシャさんまで」とゲラの奴は少し呆れたような口ぶりだったが、
「ううん、あたしは本当にお水が飲みたいの。もう喉がカラカラ!」とアイシャが弁解すると
「それならば許します」と来たもんだ。なので俺はそれについては反論する。
「なんでだよ、酒だって百薬の長だろうが」
「いいえ、キャプテンの場合は呑み過ぎで百毒の長になりつつあります」
と叱られる始末だ。
そんな軽口を叩きながら時は過ぎ、夜が更ける。
この村のいいところは酒を飲みながらでも星が眺められるところなんだぜ、とアイシャに言ってやると、パブの簡易的なテントの外側に身を乗り出して、ほんとだーと無邪気に、そして嬉しそうに眺めていた。そんなアイシャを見てゲラが言う。
「アイシャさん、ここの星空もいいのですが、ワロン島のジャングルではもっと星が綺麗なんですよ」
「本当?楽しみ!見れるかなあ!」
と言って未知の世界に心を踊らせている様子だった。
なんだか、こいつを村まで送り届けようとしていた時よりいやに穏やかな時間だなあと感じたりもする。当面のはっきりした目的がないからか。何故か妙に心地良いのはこの村の雰囲気のせいなのだろうか。それとも――。
腹も喉も満たし、そろそろ就寝の時間になる。
と言ってもこのウソの宿というのは基本的にテントに雑魚寝するしか無い。要するに、適当にその辺に寝ろというのがこの村のスタイルだ。一応金額によってランクはあるのだが、金額で変わるものといったらいい枕やマットレスが付くといった寝具の質ぐらいだった。
「そんなわけだから、どこでもその辺に勝手に寝ろ」
俺は赤毛にそう言い、自分もその場にゴロンと横になる。すると赤毛は俺の真隣にやってきて
「じゃああたしここで寝るー」
と俺にくっついてくる始末だった。
「あんまりくっ付くんじゃねえ。何だと思われるだろうが」
「どこでもいいって言ったのにぃ」
赤毛は口を尖らせていたが、
「どこでもったってお前、限度があらあな」
そう俺が窘めてやると、赤毛は渋々と少し離れた場所に枕を置いて寝っ転がると、疲れていたのかわずか数分で寝息を立て始めたのだった。
しばらくすると別の旅人の一行が雑魚部屋に入ってきたのが気配でわかったのだが、そいつらときたら寝ているアイシャを見た途端、
「珍しい、こんなところで女の子が寝てるぞ……」
などとひそひそと話をし始めた。さらには
「結構かわいいな……」
「よく見たらスゴイ恰好だな……」
「お、俺、しれっと隣で寝ちゃおうかな……」
「いやそれは俺に譲れよ……」
などと小声で話しているのが耳に入ってきてしまった。よく考えてみりゃあ、こんな所の雑魚部屋に年若い女の子が寝てる事自体がちょっとばかり異常なのかも知れない。
「……おい」
俺は寝たままの姿勢で、ギロリと左目だけを開けてそいつらを威嚇した。
「その赤毛は俺の連れだ。妙な真似しやがったらてめえらブチ殺すぞ?」
言いながら睨みつけ凄んでやると、そいつらは「す、すいませんっ」などと言いながら一目散にテントから出て行ってしまった。ざまあみやがれ。
当の赤毛本人は呑気にそして無防備なことに、だいぶ熟睡していてちっとも起きる気配がなかった。しかも赤毛のちょいと危ない服装のことも見慣れてしまっていたせいか俺はすっかり失念していて、ここに泊まったことを今更後悔してしまった。
「やれやれ……。しょうがねえなあ」
俺は全く起きない赤毛を抱きかかえてテントの端っこの方まで運び、その隣に背を向けて寝ることにした。これで、俺を跨がりでもしない限りは誰かが来てもおかしなことは出来ねえだろう。
「……何をなさってるんですか、キャプテン……」
―何、だと?
俺は珍しく、相棒の声で起こされた。
「何」って何がだと思いとりあえず目を開けると、目のすぐ前に赤毛の安らかな寝顔が飛び込んできた。
「ん?、んー?」
右腕が重い。どうやら赤毛に腕をまた枕にされてしまっていた。
それだけではない、左の腕はなぜかアイシャの上。
「俺は向こうを向いて寝てたんだがなあ」
「こういうところではさすがに自重したほうが」
相棒に窘められてしまったのだが、俺は何もした覚えもない。
「いや、俺は別に何もしてねーぞ?」
「何もって、がっちり抱きしめて寝てたじゃあありませんか……」
自由な方の腕で頭をバリバリと掻きむしる。なんでだ、いつの間に。俺はちっとも覚えてねえ。
「今朝は少し冷えるから、くっついてきやがったのかな」
俺はそう結論づけて苦笑するしかなかった。
昨晩、アイシャは一度眠りを浅くした時に自分の隣で豪快に鼾をかくホークによって目が覚めてしまった。
「あれ……?あたしこんなトコで寝てたかなあ……」
最初に寝た場所と明らかに場所が移動している。しかも自分のすぐ隣にはホークが大の字になって寝ていた。
「あれー??」
アイシャは少し混乱したが、自分の隣にホークがいることでなんだか安心してしまい、そのまま大の字になったホークの腕にちゃっかりと入り込んで寝てしまったというわけだ。
頭上で大きな鼾が響いても全然気にならなかった。
朝が近づくとこの辺りの空気は一気に冷え込む。放射冷却というやつらしい。
あまりの寒さにアイシャはまた意識をうっすら覚醒させようとしていた。
……毛布、毛布はどこだろうと手探りで毛布を引っ張ろうとしたその時、自分を太い両の腕がきつく包んだ。
(はわっ?!)
それは、隣で眠っていたホークの腕だった。アイシャは一瞬驚いたが、それが彼だとわかるととりあえずは安堵した。ただ本人はどう見ても起きている気配ではない。寝ぼけているのだろうか。
しかもその腕と手は冷たく、いつもの服装で寝ていたアイシャの開いた脇腹などの素肌に当たると(ひゃあーっ冷たい!)と思わず声を上げそうになった。
しかし自分を抱きしめているその腕の冷たさを感じると、(ああ、ホークさんもきっと寒いんだなあ。)とそのように解釈する。よく考えたら彼は上半身はほとんど何も着ていないんだから、この気温で寒いのは当たり前だ。無意識にぬくもりを求めて、近くに居たアイシャの体を引き寄せてしまったんだろう。
だけどこうやって抱きしめられてると心地いいし寒さが和らぐ。
何よりなんだか、とても安心できた。
だからもっとこのままで居たいという気持ちが、アイシャの中でじわじわと強まってくる。
「んっ……うんっ、と……よいしょ」
アイシャはホークを起こさないように注意しながら、器用に足とホークに拘束されてる腕を使って足元にまでズレていた毛布をなんとか自分たちに被せた。あまりにもぎゅうっと抱きしめられていたのでなかなか手が届かずに苦戦したが、なんとかホークの冷たい腕にも毛布を被せることができた。
毛布が被さるとあっという間に二人の体温を反射してその中は温まっていく。
「あったかいなあ……」
体温を分け合うような心地よさにアイシャは身も心も幸せを感じ始めていた。
この間のクリスタルシティの宿では、すぐに眠りに落ちてしまったので分からなかったけれど、彼の胸の広さに改めて驚いた。
この胸に委ねていれば、何もかも安心だと確信に近い感覚を得る。
その時、ホークが自分を抱き締める力に一際、力が籠もった気がした。そして
「ん゛ーーーーーっ……」
という低い唸り声が、顔をくっつけている胸元を伝って耳に響く。
起きちゃうのかな、起きたらまたひっつくなと言って向こうを向いてしまうのかな、とハラハラしたが、幸い彼は目覚めることはなく、そのまままた寝息を立て始めた。その腕はまだ強く自分を包んだままで。
ホッと胸を撫で下ろすと同時に、だんだんアイシャは胸の奥がじわりと痛んでくるような感触に襲われた。
その範囲は少しずつ、少しずつ、広がっては消えていく。
しかし少女にはまだ、その痛みの正体はわからないままだった。
よくわからないけれど気持ちのいい痛みってあるんだなあと不思議に思いつつ、そのまま再び眠りに落ちたのだった。
Last updated 2015/6/3