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はつよる。
Romancing SaGa 3

Full Moon. 01

 あの闇の底での戦いから、まもなく半年が経とうとしていた。

 

 世界は凶悪化した怪物たちが静まったことで安寧を取り戻し、野心に急いていた者たちの動向も静かだった。今思えば、アビスゲートの闇の力が彼らの黒い野心を必要以上に掻き立てていたのだろうか。

 かといって油断は許されない。ここロアーヌはいよいよ公国として領土を拡大するために、領主ミカエルは毎日激務に追われていた。そしてそんな中、ミカエルの妹であるモニカとユリアンの婚約が調い、数週間後にもお披露目となるためにその侍女であるカタリナも目の回るように忙しい日々を送っていたのだった。

 

 「もうすぐでございますね、モニカ様。なかなか決まらずに難航していたドレスや列席者の調整なども首尾よくうまくいきましたし、あとは御式の日を待つばかりです」

 長年世話をしてきた主の美しい金髪を丁寧にブラシで梳かしながら、カタリナは心から安堵した声をかけていた。

 「そうね……もうすぐこの屋敷を去ってしまうと思うと、とても淋しい気持ちが日に日に強くなっていきます……。特にカタリナ、できればわたくし、あなたを新しい屋敷へ連れて行きたいくらいなの」

 結婚式が近い女性のそれとは思えないほどしょんぼりとした顔をして、心から残念そうにその娘、モニカはこぼしていた。

 「まあ……、身に余るお言葉、光栄でございます。わたくしもできればずっとモニカ様のお世話をしていきたい気持ちはあるのですが」

 「だけどそんな子供じみたことを言ってはカタリナ、あなたを縛り付けてしまうだけよね。それにわたくしは、できればカタリナには早くお兄様と幸せになってもらいたいの……そうすればあなたはわたくしの本当のお姉様になるのですし」

 「そ、……それは……」

 モニカの思いがけない一言に、カタリナの心臓がぎくりと躍る。

 「もうすぐわたくしは嫁いでこの屋敷を出るのだし、これからはお兄様だけのことを考えて、支えてあげてほしいの。わたくしからのお願いよ。カタリナ」

 モニカはそう告げると屈託のない笑顔を投げかけた。カタリナはその言葉に何と返答してよいかわからず困惑したまま、しばし立ち尽くしてしまった。

 (どんな形であれ、ミカエル様の御傍にずっといられるのなら、それが叶うならどんな幸せなことだろう……)

 しかしカタリナは一度、暇をいただくことをミカエルに申し出ていたのだ。奪われたマスカレイドを取り戻したはよいが、その失態は汚点であり、一生の不覚であることは違いなかった。それもミカエルに化けた者に簡単に陥落させられたなど、死んでも死にきれないほどの不覚。どうあってもカタリナはこの、ロアーヌの王妃様たちに伝わってきた剣を持つ資格などなければ、ミカエルの傍に使える資格などないだろうと腹をくくっていたのだ。

 

 カタリナがこの屋敷に召し上げられたのはまだ当時、小さかったモニカ様のお世話をするためである。身の回りの世話などはもちろん、話し相手や、時には護衛をするという役割のためだった。母を早くに亡くしたモニカにとって、カタリナは唯一心許せる存在であり、その言葉の通り本当の姉のように慕っていたのだ。

 しかし、そのモニカが屋敷を出て嫁いでいくとなれば、いよいよカタリナの役目は終わりということになる。一度はこの宮殿を出ると決めたカタリナだったが、様々な引継ぎや、何よりモニカに必死に慰留されて今に至る。それ以来心は揺れ、悩み続けてきたことであった。その日が近づくにつれ本来のモニカ様の世話以外にも仕事が増え続けていてすっかりと悩む暇もなく忙殺されてきて忘れていたが、今のモニカの言葉でまたその悩みが頭をもたげてきてしまった。

 

 「……どうしたの?カタリナ。なんだかぼうっとして」

 何も答えずに深刻な顔のまま立ち尽くしているカタリナを怪訝に思い、モニカが心配そうな声色を上げた。その言葉にハッと我に返るカタリナ。

 「あっ……申し訳ありません、少し考え事を」

 「最近とても忙しそうですものね……大丈夫?きちんと休んでいる?」

 「大丈夫です。ご心配をかけて申し訳ありません。さあ、支度は整いました。ミカエル様がお待ちですから行きましょう」

 持ったままだったブラシをそっとドレッサーに置くと、この話題を断ち切るようにカタリナは手を差し出してモニカを誘導したのだった。

 

 

 「ねえ、お兄様?」

 「なんだ、モニカ」

 ともに食事を摂りながら、モニカは兄であるミカエルに話しかけた。

 「最近、カカタリナは随分と疲れているような気がするの。それに少し痩せた気がするのよ。ちゃんと食事を摂っているのかしら……」

 「自己管理も大切な侍女の仕事の一つだ。カタリナともあろう者がそこのところを怠るわけがない」

 事もなげにミカエルはそう告げる。モニカにはそれが多少冷たい態度のように見えたのだろう、

 「もう、お兄様はすぐそうやって……」

 と、やや不機嫌な声色を上げた。

 「食事中にはしたないぞ、モニカ。もうすぐ嫁に行くというのにそんなことではユリアンに嫌われてしまうぞ」

 「もう!お兄様がカタリナに嫌われても知りませんからね!」

 珍しく食い下がるようなモニカの姿を見て、ミカエルは少し驚くと同時に、やはりこちらも気になっていたことが頭をもたげた。

 

 カタリナ……。

 モニカがこの屋敷を出てしまったら、彼女はこの先どうするつもりなのかということを尋ねなくてはと思っていたのもこちらも同様だったのだ。

 カタリナは元々ロアーヌでも指折りの良家の貴族の子女なのだから、モニカの侍女という役目を無事終えたら元の屋敷へ戻り、縁談を受ける身になるのは必至当然の流れだった。ただ、その剣の腕前を考えれば、単純に手放すのは惜しい人材でもある。何より、ロアーヌ家に伝わる聖王遺物である剣「マスカレイド」を、今や彼女よりも鮮やかに操れる者はおそらくいないだろうと確信していた。彼女がここへ来てからしばらくして父、フランツ王から拝領された王家の至宝を、彼女と一緒に手放すことなどできたものであろうか……。

 ただ、今はモニカの式を控えた時期と、国を拡大していくために多くのことを考えていかなければならない時期が重なり、ゆっくりとカタリナと話す暇が持てないでいた。時間を作らなければと思いながら、カタリナも様々な準備に追われ、微妙なすれ違いの日々が過ぎていったのだった。

 それに一つ気がかりなのは、カタリナが自分を避けているように思えることである。そうすると、先ほどのモニカの言葉が気になりだした。私は何か、彼女に嫌われるようなことをしたのだろうか?と。確かに、モニカのことを誰よりも理解している彼女にしかできぬのだからとモニカの結婚式に関する仕事を一任したことで今までにない忙しさはあるだろうが……。

 

 「ミカエル様、少々急ぎませんと。謁見の時間が迫っております」

 執事の言葉が耳をつんざく。はっと我に返った。

 「そうだな」

 言いながら、残りの食事に手を付けた。そんな兄を見て、モニカは少しだけ安堵したようだった。そして多少唐突かと思うものの思い切ってかねてから訪ねたいと思っていたことをぶつけてみたのだった。

 「ねえ、お兄様はどうして結婚なさらないの?」

 その問いに、ミカエルは怪訝な顔をした。

 「どうした突然。……妹の自分が先に結婚をするからと言って後ろめたく思うことはないぞ」

 「そうではなく……、国も大きくなりご負担が増えます。そろそろ伴侶をお持ちになったほうが心のふたんも軽くなるのではないでしょうか。それにこういういい方は何ですけど、何かと外に対しても体面もよろしいでしょうに。どうしてミカエル公は結婚をしないのだろうといううわさが流れているのを聞いたこともありますから」

 「今はそんな相手を見繕う暇はないし、お前が心配することではない」

 「見繕うって」

 「忙しいのだ。そんな話は後にしなさい」

 「……後とはいったいいつになるのですか。こうやってお話ができるのもあとわずな時間ですのに」

 少し呆れたような口調でそうつぶやくと、モニカはナプキンで口を拭い、メイドに椅子を引いてもらうのも忘れて自分で立ち上がると、スタスタと早足で部屋を出て行ってしまったのだった。

 「どうしたというのだ……まったく。あんなモニカは初めてだぞ」

 ミカエルは自分の妹ながら、そのいらだちの正体が全くわからずにいた。うっすらとカタリナのことと関係があるのかもしれぬとは思うものの、忙殺されている今、そのことについて深く考えることができずにいた。

 

 そう、モニカの苛立ちのは原因はとても明白だった。自分がここから出る前に、もっと兄とカタリナを『素直』な気持ちにさせたかったのだ。

 あの二人は、傍から見ていてもどうしようもないほどお互いを想いあっている癖に、当の自分たちはその感情をあまりにもおろそかにし過ぎではないのかと前々から思っていた。カタリナはまだ身分のことを考えておいそれと気持ちを表に出せないのはモニカとてわかる。問題は兄だ。正直、ミカエルさえもっと素直になってくれれば、あっさりと問題は解決するというのに。

 「傍にいる女性の気持ちもわからない、あんな鈍感なことで国を治めていけるのかしら」

 そうした軽口まで飛び出てしまうほど、モニカは苛立ってしまっているのだった。

 

 

 そうしてまた一日一日と、ミカエルとカタリナにとって多忙な毎日が怒涛のように過ぎていく。もはやカタリナの疲れはピークに達していた。ただ忙しいからというわけではなく、悩み事を抱えながら、そしてその悩みの期限も目前に迫りつつあることが、何より強いストレスとなってカタリナをじわりと追い詰めていくような毎日だった。

モニカを送り出すことは何よりもカタリナにとっても喜びには違いなかった。自分にできることならば何でもしてあげたいと考えたからこそあちこちへと奔走し、細部まで手を抜かずに仕事をしてきた。しかしそうすればするほどに、ミカエルとの別れが苦しくなる。これが最後のご奉公になる……そう思うことが何より苦しかった。こんなこと、誰かに相談できることでもなく。ただ胸に秘め続けることにそろそろ限界を感じ始めていた。この2,3日は夜もろくに眠れないほどに。

 

 「ねえ、カタリナ……なんだか顔色がすぐれないわよ、大丈夫なの?」

あまり眠れていないせいか、日に日に憔悴したような顔になっていくカタリナを、モニカをはじめ周りの侍女たちもひどく心配していた。

 「大丈夫……です。お気になさらず……」

 その声にも全く覇気がない。モニカは「お願いだから少し休んで」と懇願したが、

 「あと数日ですから、大丈夫です。あの旅の日々に比べれば、この程度のこと大したことはありません」と突っぱねられた。そしてその様子にはさすがのミカエルも心配をせずにはいられなかった。モニカからも「お兄様からも休むよう言って。わたくしではだめなの。カタリナはお兄様が言わないときっと聞かないわ」とくぎを刺されてしまった。

そう言われ、呼び出すかどうか思案していたところちょうどカタリナと廊下ですれ違った。カタリナの顔からは生気が消えたようだった。辛そうなのが一目瞭然で、ミカエルも驚きを隠せなかった。そして彼女を呼び止めて一言告げた。

 「カタリナ、ちょっと待て」

 呼び止められてカタリナは立ち止まり、深くお辞儀をした。

 「カタリナ……そんな覇気のない顔を見せるな。お前らしくもない。具合がよくないのなら少し休んだらどうだ」

 そう言われたカタリナは、思わず身をこわばらせた。

 「も、申し訳ありません、ミカエル様。御見苦しい姿を……」

 

Last updated 2020/8/26

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