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Sweet Child O' Mine.
Romancing SaGa -Minstrel song.-
28. 汚れなき悪戯
「じゃあ、何だってんだ?」
言いながら、俺はいままで経験したことがないほど心臓がバクバクと高鳴るのを感じていた。一体なぜだ?息すら苦しくなるほどに心臓の鼓動が胸を圧迫する。じわりと汗まで滲んでくる始末だ。何なんだこれは、と俺は内心焦った。焦ると更に動悸がする。
ふと、赤毛が俺の身体から離れた。そしてベッドのそばにある窓の前に佇むと、俺の方を振り向かないまま、俯いている。
不思議なことに、赤毛が俺から離れるとその不可解な動悸は一旦平常に戻りつつあるのを感じたのだ。
「あたしね、今日、南エスタミルで、ホークさんとバーバラさんがあんまり仲良さそうに話をしているのを見ていたら、すごく息が苦しくなって……、涙は出るし、すごく、すごく……あたし、おかしかった。なんだか急に、ホークさんが遠くに行ってしまうような気がして、すごく悲しくなって、耐え切れなくなって」
小さな声で恥ずかしそうに、アイシャは向こうを向いたまま、俺にそう語る。
「それ……は、お前……」
俺は、今更ながらアイシャがあの時パブを出て行った理由を察してしまったのだ。そうか、そういうことだったのかと。気づかない俺もどうかしていると心底悔やんだ。いや、俺は多分今まで赤毛のそんな気持ちを無意識に見て見ぬふりをしてきたのだ。そのせいで、本当に見えなくなってしまっていたのだろう。
「ホークさん、あたしにちゃんと約束してくれたのにね。あたし、なんであんな風になっちゃったんだろう。本当に莫迦だよね……。いつも、心配ばかりかけてごめんなさい……」
アイシャはゆっくりと踵を返し、俺の方を見て苦笑いのような笑みを浮かべていたのが視えた。薄明かりだけの部屋の中に浮かぶその顔は、もう見慣れている筈なのにどういうわけか今日はひどく可愛らしく見えた。そしてまた、あの不可解な動悸が始まってしまった。
「わざわざそれを言うために、ここに来たのか」
正直そんなことの為に、と思った。だがアイシャは顔をゆっくり振る。
「それもあるけど、あたし、今日はどうしても、ホークさんと一緒にいたかったの……」
薄明かりの中でもはっきりと分かる、アイシャの苦悶の表情。
アイシャはおそらく、俺を信じていながらも、自分の中に巣食う不安感はどうしても取り除くことが出来なくて、矢も盾もたまらずに俺のところに来たのだろう。俺にくっついていりゃあなんとかなると思ったのかもしれねえ。
だが俺はそんなアイシャを見て、これ以上ない危機感のようなものを抱き始めていたのだ。
このままじゃあこいつは、自分の足で歩けなくなっちまうんじゃねえか、と。
以前も少し考えたことはあったのだが、今はこの娘にとってやむを得ない非常事態だから俺のような男と旅をしてはいるが、いずれは村に帰って一族の暮らしに戻らなければならないはずだ。
そもそも、生きる世界がまるで違う俺に必要以上に甘え、依存させるのはあとあと良くねえことなんじゃないか、と。
―このまま一生ずっと一緒にいるわけにはいかねえのだから。
涙の溜まった大きな瞳でこちらを見つめる赤毛に、俺は言ったのだった。
「今日のことはもう気にするな。……用が済んだのなら、明日は早いからもう部屋に帰れ。俺ももう寝るからよ」
言いながら俺は赤毛に背を向けた。無意識のうちに、アイシャから顔を背けたかったのかもしれない。
すると背中にどん、と衝撃が走った。その正体はすぐに分かった。アイシャが俺に抱きついてきたのだ。
「イヤ!!ずっとここにいる……!」
アイシャが俺にぶつかってきた時、またあの心臓の暴走が始まり、しまいには頭がクラクラしてくる始末となっていた。一体これはどうなっていやがるのかと、俺としたことが軽く混乱した。船酔いでもなし、酒もそれほど飲んでねえ。しかし直感的に、原因はこの赤毛なのではと思った。
「いい加減にしろ……ッ」
兎に角俺はアイシャから離れなければと感じ、アイシャを振り解くように身体をねじった。すると思いの外勢いが付いていたのか、「きゃっ!」と小さな悲鳴を上げ、赤毛は大きくよろめいた。
あぶねえ、とよろめいて転けそうになるアイシャの身体を抱きすくめようとすると、バランスを崩したアイシャの伸びた脚が伸びて引っかかり、不覚にも俺も一緒に転げてしまったのだ。
俺はなんとかアイシャを受け止めながら、ベッドの方へと身体を傾け倒れることは出来た。しかしそうやって倒れたところ、アイシャは俺の下敷きになり、潰さねえようなんとか肘をついて倒れた格好が、ちょうど俺がまるでアイシャを押し倒したように恰好となってしまったのだ。
「あ……」
少しだけ上ずったようなか細い声が、俺の胸元に響いた。その貌は今まで見たことがないほどに大人びていて、そこにいるのはまるで今まで俺の知るアイシャとは違う女のように見えた。いや、正確に言えば。俺の中に抱いていたアイシャへの感情が激変しただけなのかもしれない。先刻から俺の胸元で跳ね踊る心臓の鼓動はなおも激しくなるのだが、同時に、全身の血がたぎるような感覚を覚えていた。
―このガキはいつもいつも、何の遠慮もなしにこの俺に甘えてきやがって。俺を一体誰だと思っていやがる。確かに甘えてもいいといったこともあるが、限度ってもんがあるだろうが。
そんなに甘えてえんなら、いっそこのまま俺の女にしてやろうか。
俺の内に潜む何物かが、そんな『声』をささやいた。その時俺はおそらく、今まで赤毛に見せたことないような顔をしていたのだろう。自分の上にのしかかったまま一向に退こうとしない俺を見つめるオリーブの瞳には動揺の色が滲み、それは濃くなる一方なのがわかる。俺はそんな顔を見てもお構いなしに、ゆっくりとアイシャを腕で囲っていった。逃げられないように細い手首を俺の手で抑え込みながら、元から暴れまわる心臓の鼓動にのせて息は自然と荒くなっていく。そんな俺を目で追いながら赤毛は表情をも強張らせはじめ、やがて震えだしているのが分かった。そして
「や……、ホーク……さ……、まっ……て……ぇ」
息も絶え絶えに絞り出すような赤毛のうわずった声が、静かな部屋の空気を振動させた。その訴えによって俺の意識は少しだけ現実へと引き戻されていく。やがて赤毛がみるみるうちにその大きな瞳に涙が溜まっていくのが見て取れた。それは暗がりであってもわずかな光をとらえて、俺に示している。しかし、一度点いてしまった火はなかなか消えぬままで、早く退かなければという焦りもある一方で、俺は今まで俺自身も見て見ぬふりをしてきた感情がいよいよ壁を突き破ろうとしているのを感じていた。
にじみ出た汗がいつしか雫なって滴り、額を伝った。暴れる鼓動のせいかもしれないが、徐々に緊張と後悔が押し寄せるのだが、どうしたって体がそこに張り付いたように動けない。ただの衝動というよりはあまりにも強く、長い葛藤だった。
アイシャのほうも恐怖のためなのか、それとも別の意味なのかは判らないが、涙をぽろぽろとこぼすばかりでその場をピクリとも動けない様子だった。そんな赤毛を見ているうちに俺の頭は幸いにもみるみるうちに冷えて行った。しかしどこか一点に残った熱が身体を無意識に動かせたのだ。
アイシャは自分の上で苦悶の表情を顔をしながらのしかかったまま動かないホークがみるみる顔を近づけてくるのが分かった。心臓が大きく跳ね上がる。ただ怖いというよりは、何が起こるのかがわからなくて、とにかくどうしていいのかわからず思わず目を閉じた。ぎゅっとつぶった後に額に乗る、少しの熱。
「ふあっ……!」
驚きのあまり、思わず口からおかしな声が上がってしまった。少し怖くもあったのだが、その熱がすごくいとおしくて。もっともっと包まれたかった。しかし熱はすぐに引いていき、自らの体全体を覆っていた存在も、熱と一緒そこから去って行ってしまった。
恐る恐るまぶたをゆっくりと開くと、そこに見えたのはホークの大きな背中だった。
「……頼む、部屋から出ていってくれ」
それは絞り出すような苦し気な声だった。聞いたこともないようなそんな声色似、アイシャの胸はなぜだかズキリと痛む。
「お前が動けねえのなら、俺が出て行くからよ」
そういいながらおもむろにベッドから立ち上がった彼を見て、アイシャはハッと気づき、そこから跳ね起きた。
「あの……ご、ごめんなさい……!私……」
他に言葉が出てこなくて、やっとの思いでそれだけ告げると、アイシャは足早にドアへと駆けていき部屋から飛び出してしまった。
今まで見たことのないほどのホークの苦し気な横顔を見て、胸が痛いほどに締め付けられ、耐えることはできなくなった。
(私はもしかして、ホークさんのことを苦しめているのだろうか?)
そう思うと、アイシャは無性に悲しくなり、勝手に涙が目に溜まっていった。隣にある自分にあてがわれた部屋のドアを開けてしっかりと締めると、事切れたかのようにヘナヘナと床へ崩れ落ちては、少女はまた声を殺して泣いてしまっていたのだった。
アイシャが大急ぎで部屋を飛び出るや否や、やはり暴れる心臓は平静を取り戻しつつあった。しかしその代わりに強い後悔の気持が押し寄せてくる。なぜごめんなさいなどと謝る?悪いのはこの俺に他ならないのに。苛立ちのあまり部屋に備え付けてある小さなテーブルを思わず蹴り上げた。簡単な作りのその木製のテーブルは簡単に脚にひびが入ったが、俺はかまわずそのまま不貞寝を決め込んだのだった。
思ってみれば。
お互い普通にこれまで通りの生活していれば、俺たちは絶対に出会う事がなかったはずだ。そのぐらい住む世界が違うのだ。
これからはもう少し赤毛と距離を置くことにしよう。そのほうがお互いにとって最善に違いない。
そう強く心に誓いながら、いつの間にやら俺は眠りに落ちていた。
翌朝。自然と時間になれば集う食堂に俺も向かうと、すでにゲラやクローディア、ジャミ公が食事をしているのが見えた。
「キャプテン、おはようございます。珍しく今朝は少しゆっくりですね?」
などとゲラが俺の体調でも気遣うように顔を覗き込んできた。
「ほっとけ……。なんだ、一人足りねえじゃねえか」
いつもそこにいるはずの、赤毛の姿がなかった。
「……ご一緒なのかと思っていましたが」
ゲラの奴が独り言のようにそうつぶやく。
「アイシャ、まだ寝てんのかな?俺起こしてこようか」
ちょうど食事を終えたらしいジャミルが椅子から立ち上がると、食堂の入り口のほうから聞き覚えのある声とともに人が入ってきた。
「もうっ、着いてこないでよおっ!しつこい!!」
この甲高い声は、そう、アイシャだった。しかしアイシャにまとわりつくようについてきた二人の、見覚えのねえ男も同時に入って来たのだ。身なりのよい服装をしていて、もう一人はそいつの仲間のようにも見えた、
「なんだあ?そいつら」
ジャミルは状況が飲み込めずにアイシャに尋ねる。
「わかんないけど、話しようとか家に来てくれとか言ってしつこくって!もう、あっち行ってください!私そんな暇ないって言ったと思うんだけど?!」
男の手を振り解きながらアイシャはこちらへと歩いてきたが、俺の姿を見つけると、少しおびえたような顔をしたようにも見えた。
「そんなこと言わずに、よかったらもっとあなたのこと教えてください……!」
アイシャにまとわりついていた男はなぜか必死にも見え、いったい何なんだと怪訝に感じていた。
「あのさああんた、ナンパかなんかしらねーけど、嫌がってんだろ?男なら断られたらさっさと身を引けよ」
ジャミ公は見るに見かねたという具合で、アイシャにまとわりつく男に言葉を放った。
「お前はクジャラート人か、関係ない奴は引っ込んでてくれ」
男は強硬な態度でジャミルへ言い返している。
「関係?あるさ。その娘は俺たちの仲間だからな。」
ジャミルはテーブルにいる俺たちを一瞥した。
「そして俺たちは今から用があってこの街を離れるんだからあきらめな。いい加減にしねえとこっちも本気出すぜ?」
ジャミルは威嚇でもするような目つきで男を睨みつける。俺やゲラも何も言いはしないがじっと男を見据えると、そいつはようやく怯んだようで
「……わかりましたよ。でもまたエスタミルに寄ったらぜひお話だけでも」
なおも食い下がる男に、赤毛は「それは……お断りします」と、きっばりと言い放つ。
男がすごすごと引き下がると、アイシャはふうーとため息をついて椅子に腰かけた。
「いったい何なんだ?あいつ」
ジャミルは赤毛に問いかけると、
「わからないけど、さっき寝坊しちゃって急いでここに走ってこようとしたらあの人にぶつかっちゃったの。最初少し怒ってたんだけど、なんだかいきなり話をしようとか言われて、急いでますって言ってるのについて来ちゃって。変なひと!」
「フーン……」
アイシャの隣に座って話を聞いていたジャミ公だが、徐々に目をぱちくりとさせはじめ、アイシャの顔のあたりをクンクンとにおいをかぎ始めたのだ。
「ちょっと!なにしてるのー?!」
顔の間近までジャミルが鼻を近づけてきたのでアイシャは驚いてジャミ公を軽く突き放していた、
「えっ、ご、ゴメン……!なんかスゲーいいにおいがするなって……」
ハッとしたような顔をして、ジャミ公は慌てふためいた様子だった。自分でも何をしていたのかわからないといった風情のようで、少し顔を紅潮させている。
「そういえば、不思議な匂いがしますね……アイシャさんの服からでしょうか」
ゲラの奴もそんなことを言い始める。そうするとクローディアも興味が出たのか、アイシャの肩口に鼻を近づけてくんくんと香りを嗅いでみる。すると何かを思い出すようにしばし虚空を見つめて、
「この匂い、嗅いだことがあるわ……そう、確か、オウルの庵で……」
と独り言のように呟いていた。俺はそういえば、何となく甘いような匂いが昨晩もしていたなと思ったが、少しアイシャに近づくと、また昨晩の動悸を思い出してしまい、スッと身を引いてしまった、
「これは、一種の、ラブ・ポーションのようなものね、確か。どうしてこんなもの服にかけているの?」
クローディアは小首をかしげるようにして、アイシャに尋ねていたが、当の赤毛も眉を顰めるばかりで、「ら、ラブポーションって何なの?」とクローディアに尋ね返している。
「ラブポーションっていうのは、異性の気持ちを手繰り寄せる効果があるお薬のことよ。これはたぶん普通なら媚薬というほど強力なものじゃないけれど、相手によってはとても効果があるものみたいだから、ちょっと危ないわね……。どうしてこんなものを?」
「どうしてって言われても……。なんだろう」
アイシャはクローディアに尋ねられて、困惑するばかりだったが、突然何かを思い出したように「あっ」と声を上げた。
「もしかしても昨日アムト神殿で香水をかけられたときかも」
「いつだよそれ、昨日の夕どきはこんな匂いしてなかったじゃん」
アイシャの話にジャミルは首をかしげたのだが、アイシャが言うには、
「あれから宿に戻るとき、神殿のいい匂いの香水が気になってちょっと見に行ってたの……」
なぜか罰が悪そうな顔をしてそう話していた。
「あの神殿で香水売ってるみたいだったから少し見てたらね、間違って瓶を落として割っちゃって。服や手にたくさんかかったの、もしかして、それかも」
アイシャが言うには。
昨晩様々な買い出しなどを終えた後、全員でパブで食事をとり早々に各自宿へ引き上げたのだが、その途中であのアムト神殿の不思議な香りがどうしても気になり、まだ時間も早かったことから神殿へと立ち寄ったらしい。そこには様々な香水が販売されており、手に取ってみていたところ、誤って神殿の者とぶつかり割ってしまったということだった。
「申し訳ありません!服は弁償させていただきます!」
神殿の者はそう申し出たらしいが、アイシャは自分の着ている服は民族衣装で弁償されても手に入らないから大丈夫、と言って断ったらしい。その時「匂いが落ちるまでお風呂に入って、服も念入りに洗濯してください」と言われたらしいが、面倒でしていなかったらしいのだ。
「そんなすごいようなお薬なんて言ってなかったのになあ」
「こういう薬草の秘薬のようなものは、使う人の体質にもよるみたいだから、何とも言えないわね……。外で歩いているうちにしばらくすれば気化してしまうと思うのだけど。洗っていたら明日になってしまうかもしれないわね」
アイシャはクローディアのそんな言葉を聞き、「早く行きたいし、そのうち取れるならいいかな?」と気の毒そうな顔をした。しかし
「あ、洗って行ったほうがよくねえかなあ…その匂い嗅ぐと俺、なんだかふらふらしちまうからさあ」
とジャミルは困ったような顔をしていた。多分俺も、そのままで一緒に旅などしていたら、昨晩のようにおかしくなってしまうかもしれない。
「そ、そいつは洗ってから出発だ……いいな」
念を押すように赤毛に話しかけた。赤毛は心底落ち込んだような顔をして頷くと、宿へと戻っていき、結局出発は翌日となってしまったのだった。
(そうか、夕べおかしな具合になったのもその薬とやらのせいか……?しかし、あれはちょっとひでえぞ)
そう思いながら、念のためにジャミ公に尋ねてみた。
「お、おい……、アイシャに近寄ったとき、心臓がバクバクしなかったか」
するとジャミ公は肩をすくめて
「いいや?フラーッとはなりはしたけどなあ、別に心臓がどうとかは」
「そうか」
いったい何だったのだろう、あの薬のせいじゃねえのかといやに気になって仕方がなかった。今日はアイシャの服を洗うために予期せず一日空いてしまったため、アイシャが行ったアムト神殿へ立ち寄ってみることにした。
相変わらずそこは少し妖しい雰囲気で、昼間からカップルだか夫婦だかわからねえが、そこらへんにそういった風情の男女が何組かいやがる。俺は例の香水とやらが売ってある場所に足を向けると、神殿でそれらを勧める神官見習いのような女たちが話しているのを聞いてしまった。それはまさにアイシャのことだとわかる内容だった。
「昨日のお客さん、服によりにもよってあの香水がたくさんかかってしまって帰ってしまったけれど、大丈夫だったかしら……普段少し肌につける程度の商品なのに、あんなにかかってしまって」
「服は洗うように言ったし、お風呂に入るだろうから大丈夫と思うけど、そのままにしてたらちょっとコトだよね……司祭様に怒られちゃう。効果が現れる相手によっては、襲われちゃうかもしれないし……」
「まだ小さい子だったし大丈夫と思うけど……効果が高い相手ほど興奮してしまうからそっちのほうが心配よ。下手をすると心臓まひで死んじゃうわよ、あの量だと」
それを聞き、神殿のくせしてなんてものを売ってんだ、と非難したい気持ちでいっぱいになった。
「でもそこまで効果が表れる相手がいるのはまれだわよ、あれは一種のフェロモン誘発剤だし、相性がよほど良くないと、そこまでには。それにあの子、まだ子供だったし。成熟していない女の子はあんまりフェロモン出ないはずだし」
「そうよね、そうだといいけれど……」
その会話を聞いて、俺は頭を抱えたくなった。
どうやらその薬とやらは、相性のいい相手ほど効き目が強くなるという言い草だったので、俺とあのガキがかと苦笑いするしかなかった。
そんなはずはねえ、量が多すぎたのと、近すぎたせいなだけだと自分を言い聞かせ、俺はもう用はないと言わんばかりに神殿を後にした。
一方、宿にとんぼ返りしたアイシャは、服を宿の洗濯サービスに頼んで、自分は部屋の中で念入りに肌についてしまった香水を洗い取ることにした。と言ってもお風呂に入るのは苦手なので、部屋にあった手を洗うための石鹸と水を駆使することぐらいしかできない。
「これのせいだったのかなあ、昨夜の……」
あのことを思い出すと顔が赤くなって胸にじんわり痛みが走った。ホークさんに悪いことしちゃったなと悲しく思いながらも、昨日は自分もなんだかおかしかったような気がして、自分でも自分がわからず半ば混乱してしまいそうだった。昨日はどうしてもホークさんと一緒に居たくてどうしようもなくて。一緒にいないとどんどん離れてしまうような気がして。そんなわけないのに、言いようのない不安が今も込み上げてきてしまう。
そうこうしているうちに夜も更けて、あたりは夕闇に包まれていたのだった。洗濯に出していた服も戻ってくると、ゲラ=ハが部屋に尋ねてきた。
「どうでしょう、香水は落ちましたか」
「う、うん、たぶん……この香水ほとんど匂いがしなくて、よくわからないのだけどたぶん熱心に洗ったから取れたと思う」
アイシャはくんくんといろんなところを自分で匂いを嗅ぐしぐさをするが、自分ではわからないので苦笑いをするほかないようだった。
「そうですか、よかったです。確かにもう匂いはしません。皆さん今食事を摂っていますから、よければパブに来てください」
ゲラ=ハにそう促され、パブに一緒に出向くとそこにはクローディアとジャミルはいたものの、ホークの姿が見えず。
「おや、キャプテンはどうしました」
ゲラ=ハはジャミルに尋ねると
「おっさんならさっさと食って部屋に戻ったぜ。酒も飲まずに。珍しいよな」
ジャミルは肩をすくませて、ゲラにそう返事をしていた。
「それは明日早いからだと思いますが、こんなに早く切り上げなくても」
アイシャは、まるでそれは自分が避けられているような気がしてしまい、沈んだ表情を浮かばせる。
「会って、ちゃんと謝りたかったのになあ……」
一人ごとのようにぽつりとつぶやく言葉をジャミルは聞き逃さず
「なんだ、アイシャ、なんかおっさんにしたのか?」と尋ねられてしまった。アイシャは慌てて「なっ、なんでもないのっ!」と否定するしかなかったが、その顔はみるみる真っ赤になっていったのだった。
Last updated 2016/10/26
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