はつよる。
Romancing SaGa 3
Crecent Moon. 02
ハリードは少しの間無言になり、その沈黙もエレンには恐ろしかった。
怖いものなんて何もなかった私が、今は目の前の男の反応がひどく怖いのだ。
ハリードはおもむろに腰からその鞘を外し、手に取ってそれを改まってしげしげと眺めた。酒場で刀身を抜くわけにもいかないので鞘や塚などの外側のディテールを改めてしっかりと眺めると、施された装飾の美しさにも息を呑んだ。
「そうだな。この剣は俺が何よりも欲し、それこそ子供のころから夢に見るほどに憧れてきた至宝の剣だ。まさかこんな形で手に入るなどとはな。これが手にできるだけでも感謝しないといけない。今日はこいつを肴に呑むのも悪くないか。なぜかすっかり忘れてたよ」
そう言うと振り向いて「なあ、エレン」と声をかけた。すると、その場にいたはずのエレンの姿が消えていた。
「あ?!エレン??どこに……」
ハリードがきょろきょろとあたりを伺うと、パブの出入り口の方に小走りに去っていくエレンの姿が見える。
「……??何か気に障ることしただろうか?」
ハリードは気になって、その足でエレンの後を追いかけた。
―――――――
そうしてハリードから逃げるように個室へともぐりこんだエレンだったが、寝ようとしてもなかなか眠ることができずに、むしろ不安が募ってしまっていた。
どうして、どうしてこんなに怖いのか自分でもわからなかった。今はハリードの顔を見るのがとても怖いと思った。だから夢中でその場から逃げ出してしまったのだ。一体この気持ちは何なの、と自分でもイライラが募る。
あの場所に行くことをなぜか渋るハリードに強く行くよう勧めたのは自分だ。万が一の望みがあるのなら彼に逃げてほしくなかったからだ。本当に姫が生きてそこにいたのなら、それが一番彼にとって幸せなことではないか。
なのに……なのに少しだけ、もし本当に彼の探し求めているファティーマ姫が本当にいたら……と考えると、どうしたわけか胸がチクリと痛むような感覚に襲われた。
私は無意識のうちに、彼に「決定的な事実」を突きつけたかっただけだったのかもしれない。しかし考えてみれば、姫がいようがいまいが、エレンにとっては苦しむような事態になってしまっていた。
待って。私はどうしてこんなに苦しいの?その原因や答えがわからず、頭が混乱するばかりだった。
「おいエレン、どうして急にいなくなっちまうんだよ」
頭から被ったブランケットの向こうから声がした。声の主はハリードだ。何故この部屋にいることを知っているのかは分からないが、この口ぶりではここに自分がいることを当然知っていると言ったものだった。無視をするのも気が咎めてしまう。
「何よ、今日はもう疲れたので明日にして……」
そうそっけなく返事だけはしたが、それを聞いたハリードは
「ちょっと一つだけ言いたいことがあってな、少しだけいいか」
そんなことを言うのだ。言いたいことっていったい何よ、と思いつつエレンはもう顔を見るのもなんだか怖くて「明日にしてと言ってるでしょ」と拒否したが、
「少しだけ……少しだけでいい。頼むから」
そう言って珍しく食い下がる。そこまで言うのなら……とエレンもどうも気になってしまい、おそるおそるドアを開けた。
ドアの向こうにはもちろんハリードがいた。エレンはできるだけ顔を見ないようにして、下を向いてドアを開けたら身をくるりとひるがえして室内にさっさと入って行ってしまった。
「そんなに疲れてたのか?……すまんな俺の所用のために」
部屋に入ってきたハリードは、ブランケットの乱れたベッドを見てすでにエレンが休んでいたことを悟り、少し申し訳なさそうにした。
「……別に」
エレンは立ったまま顔をそらし、ハリードの顔を見ようとしない。早く出てってくれと言わんばかりだった。
「どうしてもお前に言っておきたいことがあったからそれを言いに来た。だから、顔を見せてくれないか」
ずっとあちらを向いたままのエレンに、ハリードは気になるのかそんなことを言う。
「言いたいこと……今じゃなきゃダメなの?」
「ああ、今言いたい」
ハリードが良くも悪くも全く何を言いたいのか予想が全くつかず、まるで気持ちの中では針のムシロに座らされているようだった。
「……何?話したいことって。早く言って」
そんなつれないエレンの言葉にハリードはなぜか少しだけ笑うと、おもむろにベッドの端に腰かけた。
「お前が、諸王の都へ行って真実を見てこいと言ってくれたこと、本当に感謝しているんだ」
やっぱりその話、と思ったが、感謝と言われて全く訳が分からないエレンだった。ハリードはエレンからの返事がなくとも、どんどん話を続ける。
「エレンに言われて行かなければ、おそらく俺はただの噂だと言っていまだに逃げていたかもしれない。だが今はとても気分がすっきりしていてな。憧れていたカムシーンが手に入ったのもあるが、それ以上に、俺の中で何かが吹っ切れたような気がする」
まるで堰を切ったように話し始めるハリードを見て、エレンは(さっきもこれを言いたくて誘ってくれたのかな……)と考えると同時に、ひどく落ち込ませてしまったのではとびくついていた自分がバカみたい、などと少し考えてしまった。
「何かが吹っ切れたって……?」
「俺は……、多分とうの昔に、心のどこかでは姫がすでに亡くなっていることを理屈で受け入れていたのかもしれない。だが、ご遺体でも見ない限りは信じ続けようとしていた。いや、もちろん今でもその気持ちは変わらないのだがな」
「だったら」
「ただ、この間お前たちと生きる縁の一つ……俺の国を滅ぼした憎い神王教団に復讐するということを成し遂げてしまった頃から少し気持ちが変わってきていた気もする。まあ、あまり過去にとらわれ過ぎるのは虚しいことのような気がしてきたのさ」
今まであまり見たことのないほど穏やかな表情でハリードはそう話してくれた。
「ハリードの生きる……意味?それって国をもう一度復興させることじゃなかったの」
彼の発する言葉は一見前向きな言葉に聞こえるのだが、なぜだか、どこか引っかかる部分を感じたエレンは眉をひそめながらそう尋ねていた。
「それは、もちろんそれができるのであればいつしか実現させたい気持ちはある。だが正当後継者となる王族のほとんどが殺されてしまった今、それこそ姫が生きていることに望みを託すしかなかったが、正直なところ今の時点でははっきり言ってあまり望みはない」
軽く横に首を振りながら、淡々とした口調でハリードは語った。
「でも、今回の噂はガセだったから見つからなかっただけで、本当は別のどこかにいる可能性もあるでしょう」
「そうだな、どこかで生きていらっしゃればそれが一番だ。そう思って10年探し続けていた。だが、10年探していても一つも生きているとか死んでいるとかそういった情報は入らなかった。それこそ世界中行けるところはすべて回った。だが、今回やっとあんな噂が入ったが、本当に俺には信じがたいことだった。10年全く音沙汰無しだったのに、突然あんな話が入るなんておかしいだろうと」
「……そりゃ、確かにそうだけど」
「実のところ……そんな自分に、ないと決めつけてしまった自分に対して俺は絶望してしまったが、何とかエレンに後押しされてあの場所に行くことができた。良い知らせだろうがそうでなかろうが、確かめることは大切だ。そしてこの目で確かめることができた。だから、そうさせてくれたお前にきちんと礼を言いたかった」
エレンは妙に胸騒ぎがした。ハリードがこれほど神妙になるのは、はっきり言って不気味とすら思えたからだ。
「あたしは、別にお礼なんて言われる筋合いなんてないし望んでないわ。最終的にあの場所に行くと決めたのはハリード自身だし、あたしやみんなは少し手伝いをしただけよ。それに……」
そこで言葉を切ったエレンに、ハリードは静かな視線をむける
「あたしは本当は……もしかしたら心のどこかで……」
今しがた心に沸き上がった。もしかして自分がこう考えていたのではないかと、それを口にしようとしていた。
「あたし、心の中では本当は……ファティーマ姫が、見つか……」
「それ以上言うんじゃない。言わないでいい」
エレンの言わんとしたことを察したのか、鋭い声でハリードが発すると、エレンもびくりと体を震わし言葉を止めた。
しばしの間、お互い言葉を発せずにいた。じっとその顔だけを見つめ合いまるでにらめっこのような状態だったが、やがてハリードはおもむろに腰かけていたベッドから立ち上がった。
「……とにかく礼は言ったからな。じゃあ……な」
(なによ、まるでお別れのあいさつみたいに…………!?)
ハッとしたのだ。この男、死ぬつもりなのではないかと、そう直観的に感じてしまったのだ。
「……ハリード、待って!」
エレンは部屋を出ようとドアノブに手をかけようとしていたハリードの背中に思わずしがみついていた。
ハリードはその場でピクリとも動かず、エレンからすると背中越しでその表情もうかがい知れない。しばらく二人はそのまま微動だにしなかったが、エレンが空気を震わせた。
「……行っちゃだめ、ハリード……あたしにまだ、あなたが必要なんだから……! ……私はまだ見つかってないわよ、あなたの言う新しい自分の道……!だから、行っちゃ……」
エレンの震える手が、ハリードの上着を強くぎゅっと掴んだ。しばらくの間ハリードは無言だったが、やがて、小さく息を吐いて沈黙の空気を破った。
「……エレン、俺がいつお前たちと別れてどこかに行くなんて言った?」
身体をエレンのほうに向けると、エレンの顔を見た。それが怒りなのか悲しみなのかわからないが、涙をためてうるんだ瞳がランプを反射してキラキラと光っている。
「俺はどこにも行きはしない」
ハリードはまっすぐにエレンの目を見つめながら、静かにそう告げた。
「……本当ね!?嘘なんてついたら絶対に許さないから!」
「嘘はつかない。嘘は、嫌いなんでな」
そう言いながら、エレンの瞳から溢れたしずくを指で拭った。
「どうしたんだ。子供みたいだな、エレン」
「何よ、そりゃ、おっさんに比べたら、子供かもしれないけどっ……」
エレンはつい先走ってしまったことに、顔を赤くして恥ずかしそうに自分の手で乱暴に涙を拭った。
そんなエレンを見て、ハリードはかすかに口端を上げるとそっと両手でエレンの肩を包んだ。
「必要だと言ってくれて、ありがとうな……俺もエレンのそういうまっすぐなところに救われてきたと思う」
ハリードの大きな手がエレンの肩ならずさなかを包んだかと思うと、愛おし気にエレンの額に自らの額をよせた
「なによ……そんなこと……、初めて聞くわよ……」
突然の抱擁に、エレンは戸惑いを隠せない。耳までカッカと熱くなっているのを感じ、きっと顔も耳も真っ赤なんだろうなと自分で想えば思うほど、恥ずかしさと焦りのような気持が募った。ただ、いやな気持ちは全くなかった。恥ずかしいが手で押しのけたりして拒否する気持ちも全く湧かなかった。むしろ、ずっとそうしていたいような……。
「そりゃあ、初めて言ったからな……」
軽く肩をすくめるようなしぐさをして、ハリードは少し笑った。そして
「ところで……女の部屋に男を引き留めるってことは、そう言う意味でいいんだよな?」
そんなことを耳元でささやいたのだ。
「えっ……!?」
ハリードの言葉に一瞬意味が分からずきょとんとしてしまったが、すぐに意味を理解した。その瞬間エレンの心の中では(そっ、そんなこと、全然考えてなかった…!)と焦りと困惑が渦巻いていた。ただでさえ熱い顔がまた一段と熱くなった気がして、気が遠くなりそうなほど動揺していることがハリードから見ても一目瞭然だった。
「あのっ、えっ……と、そ、それは…………」
Last updated 2020/8/26